米田汐里・優作 さん
- 都井地区在住
- 京都→オーストラリア(バイロンベイ)→串間市

自分たちらしい移住のかたち
2021年に都井地区に移住し、教員として日々子どもたちと向き合い教育に励まれる汐里さん。
夫の優作さんと自然体で育む、ゆったりと流れる家族の日常におじゃましました。
「くしま」からはじまる家族の物語
【 移住したきっかけ 】
汐里さん
私達はお互い、ワーキングホリデーでオーストラリアに住んでいました。
日本に帰るタイミングで「宮崎良いよ!オーストラリアに似ている。」とオーストラリア在住の日本
人の方たちから聞いていたので、まだ訪れたこともなかった宮崎でしたが、帰国後京都から車でやってきました。
教員免許を持っていたので、宮崎県の公務員の講師登録をして仕事を探
しながら、連絡を受けた中で一番南の学校にしようと串間の学校を選び移住することになりまし
た。
優作さん
ビザの関係で先に帰国していた妻に串間に連れてきてもらった時、なんか見覚えあるなと。
19歳の時、バイクで日本一周していた際に、友人からの勧めで串間に来たことがありました。日
本一周のなかでも印象に残ったところだったので、もう住もうか!と移住を決めました。
【移住後の暮らし】
移住後、お二人は結婚しお子さんが生まれ、家族3人の新しい日々が始まりました。
汐里さん
串間はサーフィンもできるし波も良い。野生馬もいる。みんな普通にしているけれど、信じられな
いくらいの絶景が日常の至る所にあるって本当に凄いと思います。
そして串間は人が凄く優しい。会う人会う人優しくて、子育て世代を大事にしてくれていたり、掛け
合ったら何とかしようとしてくれる親身な対応が嬉しいです。
優作さん
僕は、オーストラリアでのコックの経験を活かして、今もレストランで仕事をしています。大工の修
行をさせてもらったこともありました。
串間は人が良く、子育てがしやすいです。サーフィンを通じて海で出会った友達も多く、よく家に遊びに来ています。
【串間での子育て】
汐里さん
子育てと仕事の両立は正直大変ではあります。これが都会だったらと考えると、両立は難しかったと思います。
両親が近くにいないなか、それでもやってこれているのは、周りのみんなが助けてくれていたり、余裕を持たせてくれる環境があるからです。焦らされず、緩めてくれるような場所です。
今、子育てのフェーズに入ってきて、串間で産み育てることができて良かったと思っています。

優作さん
串間は食材が良いので、それを発信する為の窓口となるレストランをしたいです。生産者の為に 活動できるお店がやれたらいいなと思っているので、候補地を探しているところです。
汐里さん
小学校での教員も楽しさを感じているところです。
どのような形なのかはまだわからないのですが、子どもに携わっていきたいとはずっと思っています。

汐里さん
私たちにとっては、豊かな気持ちになれるとても良い場所です。人によって合う合わないはあると思うけど、そういう生活を一回くらいやってみてもいいのでは。
都会のように物が溢れた生活ではないけれど、鳥が鳴いていたり、蛍が見えたり、豊かな自然に囲まれて動物として生きているなって感じがします。
優作さん
やってみたいと思ったらやってみるべきですね。
自分たちの年代で地方移住している人は多いと感じます。経済的な理由もあるし、時代なんじゃないかな。都会にいなくてもできる仕事が増えてきたから、たぶんそういう意味で言えばハードル はすごく下がっていると思います。
あとは、ネットを通じてどこにいても誰とでもコミュニケーションがとれるから、精神的ハードルも高くはないです。

鳥のさえずりがBGM。風が通り、豊かな広葉樹を優しく揺らしていく静かな谷の一軒家。
インタビュー当日も代わる代わる友人が笑顔で訪れる賑やかな米田家に、また会いに行きたい
です。
素敵なお話をありがとうございました。