渡邊 健太(ネジ) さん
- 市木地区
- 千葉県君津市→串間市

大好きな生き方を見つけた
満月と新月に海水を汲み『HAPPY SALT(ハッピーソルト)』を炊き続ける塩職人 渡邊 健太(ネジ)さん。
東日本大震災をきっかけに千葉県君津市から市木に移住、熱いメッセージを受け取りました。
人生は自分次第
【移住したきっかけ】
ネジ さん
2011年。東日本大震災が起き、4日後の早朝に家族と君津を出ました。
移住しようとかそういう目的は何もなく、とにかく西へと車を走らせました。
・・・3月19日。
市木に降りたってから運命としかいいようがない展開で、まずは住んでみることになりました。
その時はずっとここに住むなんて想像してませんでした。
【移住のはじまり】
Q1.運命としかいいようがない展開ってどんなことがあったんですか?
ネジ さん
市木に降り立ったその日に、初めて会った人からNPO法人を立ち上げるので1年間一緒に仕事をして欲しい、と声をかけられたんです。彼もまた移住者で同世代、しかも自分と家族構成が全く同じだったんです。
それで仕事をすることにしました、これが ”移住のはじまり”。
NPOの仕事は農業体験、グリーンツーリズムや幸島ドライブインの再生、そして塩を作って販売を事業化しました。
これが ”塩職人のはじまり”。
移住する前は築180年の古民家をリノベして住んでいて、平飼い有精卵と有機農業で食べていこうと思っていました。
古い家のDIYや農的暮らしには慣れていたので環境的にはすんなり入っていけましたが、まぁ移住一年目は本当に色々ありました。市木内で4回引っ越しをしたり、その間、次男も産まれました。

ネジ さん
一年が過ぎNPOの仕事が終了すると、次は個人事業主として塩を販売するようになりました。
以来ずっと今まで作り続けています。
その後も家族が増えたり減ったり、同居人が現れたり消えたり、子どもが学校行ったり行かなかったり、相変わらず色々あるのですが、その都度精一杯の選択をしてきた自負があります。
変化が多かった分、ブレないでいようと常に気を張っていた気がします。
Q2.移住後のターニングポイントみたいなものってありますか?
ネジ さん
大きくふたつあります。
ひとつは要介護の義理の父を施設から市木に呼んで一緒に過ごしたことです。
純粋にいいところだから父を呼びたいって思ったし、忙しい親戚達の中で介護できるのは自分だけだって思ったんです。時間だけはたくさんあったので、父に自分の時間をかけられることが嬉しかった。
ふたつ目は全国区のテレビに出たこと。
多くの人に自分の生き方を知られるようになったし、応援してくれる人も増えて塩の売上もぐんと伸びました。もちろんいい意見ばかりではなかったけど、田舎から発信していくことの面白さも感じました。
これをきっかけに日本各地で応援してくれる人の元へ行くようになり、子ども達と一緒に旅をするようにもなりました。
そのふたつを通して人生の優先順位を決めるのは自分だって心底わかったんです。

ネジ さんは3人の息子さんを育てるシングルファーザーでもあります。
ネジ さん
僕が3人の息子たちをここまで育ててこられたのは、串間の自然の魅力と周りの皆さんのおかげです。
息子たちには、カッコいいところもカッコ悪いところも全部見せてきました。
自由と責任はセットであることを言葉ではなく、背中で伝えることができるのはやっぱりここに住んでいるから。
【移住を考えている方へメッセージ】
ネジ さん
人生は自分次第です。
僕はここに来る前に出来なかった暮らしが今は出来ていて、今の暮らし方が大好きで楽しい。
串間は僕にとって最高の街だけど、あなたにとって最高の街ってどこでしょう?
移住を考えているっていうことは多分、少なからず今を変えたいと感じていると思うので、思い切って動いてみたらどうでしょう?
結果的に移住してもしなくても得るものが必ずありますよ。

取材当日も塩炊きの真っ最中で時折、塩小屋の立ち上る湯気の中に入っていくネジ さん。
疲れたら目の前の川で軌道修正し、また小屋に戻るシンプルで自由な日々。
自分の背中は何か語っているのかな?と思いながら帰路につきました。
『HAPPY SALT』
https://uchiwa8.thebase.in/items/4562990