福島 綾乃 さん
- 本城地区
- 京都府→ 串間市

ずっと宝さがしの途中
誰もが目を引くインパクトのある串間市長のポスター。どんな人が作ったんだろう?って常々思っていました。
過去の串間市の写真や映像、記事を読んで印象に残るものには大抵 “福島綾乃” とのクレジットがあり、
手がけたのは当時、地域おこし協力隊だった ”福島綾乃” さんでした。
地域おこし協力隊員時代に、串間のどんなところを見てどんな風に働いていたのか、
OGである福島さんの行きつけのお店『くいもん屋しんちゃん』でお話を伺いました。
京都と私
【移住前】
福島さん
「京都では中学校の3年間プロとして踊っていて、高校には行かず俳優になって、大学行って教員免許を取って、それから京都を離れることにしました。」
............インタビューの初っ端から「え?」の連続です。
「4歳からダンスを始めて中1からプロになりました。日中は中学生、放課後はプロダンサーという生活でした。ジャンルはコンテンポラリーダンスになりますが、プロなら何でも踊れて当たり前と言われ、子どもと言えどプロの厳しい世界を見てきました。
舞台振付師の仕事もしていたのですが、表現の世界をもっと開拓したいと思って俳優の事務所に移籍しました。
自宅のある左京区から右京区の太秦に通っていたんです。ザ・京都でしょ⁈(笑)
高校に行かないという選択をしたのですが、20歳から夜間高校に通い、日中はバイト三昧。
大学にも通いそこで教員免許をとりました。そこまでが京都での生活です。」
Q.ふり幅のある10代20代を過ごされた京都は好きでしたか?
福島さん
「はい、好きでした。でも、教員免許を取ったあとに、もっとワクワクしたくなったんです。」
【更なるワクワクを求めて】
福島さん
「もっと違う何かをしたくなって、ワクワクできることをリストアップしました。
リストを見直したときに “住みかを変える” という文字に胸が高鳴り、『ここを出ていいんだー』って自分に許可を出せたんです。
暖かくて海沿いのお魚の美味しい街がいいなぁって、漠然と思ってました。
移住相談会にも参加しました。
地域おこし協力隊であれば、任期中にその地域で暮らしてみて、合わなければ出てもいける。
そう思って決めた移住先に丸8年住んでいます、それが "串間 " なんです。
串間での生活ってなんだか穏やかなんですよねー。気持ちがかき乱されることがないですし、だからといって孤独でもない。ほど良い距離感に人がいて、ほど良く休むことができる。だから串間にいるんだと思います。」

地域おこし協力隊時代の福島さん
福島さん
「同期には素晴らしいキャリアがあって地域おこし協力隊員となり、今でも串間でバリバリ活躍 されている方もいます。
当時の私にできたことは、喋ることとシャッターを押すことくらいでした。カメラは大学で少しかじった程度ですが。。。
串間に来たら非現実だらけだったんですよ。
まず日本語がわからなかった(笑).......「今日、なんご?」って聞かれて戸惑ったり。
水平線を見ながら出勤したり、風に潮の香りを感じて『これが潮風なんだー』ってわかったり、緑の蝶々がたくさん飛び交っていたり、
何かにつけて日々感動していたんです。
今までの生活になかった自然と文化、それに出会えたときのドキドキを、もっとたくさんの方に伝えたい!!
それが原動力となりカメラを持ってあらゆるところに出没して単独取材をしていました。
そういうことを許してくれた職場でした。
朝起きて『今日、めちゃめちゃ天気がいいから、都井岬に行ったらいい写真が撮れると思うんです。行ってきていいですか?』って
上司に連絡すると『いいよ、行ってきな。』って言ってくださって、岬に向かうんです。
8月の朝8時の都井岬はすごい色をしています。山肌には緑色が広がって、水平線はきれいなブルー、その傍らで馬たちがムシャムシャと草を食べてるんですよー。そんな世界を朝から見れたら人生観も変わりますって。
毎日宝探しをしているようでした、その感覚は今も続いています。」
Q.あの串間市長のポスターはどういう風に作られたのですか?
福島さん
「あれはですねー、ここ『しんちゃん』での飲み会の雰囲気でできあがったんですよ。
ちょうど今座っている席に市長がいて入り口からこのアングルで撮りました。合成だと思われてる方もいるようですが、実際に市長の顔にドーラン塗ったり、頭に角をつけたりタオル巻いたり、タンクトップを着て頂いたりしてるんです。
当時所属していた総合政策課の会議で突然、「福島さんいつもカメラ持ってウロウロしてるよね。何か面白いもの作ってくれん?」
って言われ、皆さんにご協力頂きながら作りました。
折角作るなら思い切ったものにしたかったので、大胆に市長を使わせて頂きました。
市長も楽しんで撮影に参加してくださいました。」

" くいもん屋しんちゃん " にて
現在は串間中学校で国語の先生として勤務されています。
Q.中学校ではどんな先生なんでしょう?
福島さん
「自分自身もそうだったように、堅苦しい話ばかりの勉強が好きな子ってあまりいないと思うので、あの先生の話しなら聞こうかーって思ってもらえるように。
それから生徒たちにはよく『働かざるもの食うべからず』っても言ってます(笑)」
............ご自身が中学生からプロとして世に出ていたから生徒さん達にも説得力がありますね。
Q.部活動の顧問は何かされてますか?
福島さん
「インターアクト部の顧問です。
これまではボランティアが主な活動内容だったんですが、卒業式や入学式に飾る花を生徒たちと育ててみようと思います。」
取材に伺った日は、生徒さんたちがペチュニアの花から小さな種を採取しているしているところでした。この種を蒔いて発芽させるそうです。
教壇に立つ福島さんの姿は数日前に取材した雰囲気とは全然違っていましたが、関西弁で生徒さんたちと友達のように話す様子は、やっぱりあの日の福島さんでした。
Q.これからのプランはありますか?
福島さん
「好奇心の赴くままに生きてきて、通過点として串間にいる感じです。
今、中学で先生をしているのも通過点の一つですが、ずっと串間にいて、ずっと先生を続けるかもしれないです。
胸の高鳴りを無視することのないように、と思っています。
自分でワクワクを探して掴んだように、これからもそうやって生きていこうって、そんな覚悟があります。
その覚悟は串間に来てからできたんです。」
【移住を考えている方へメッセージ】
福島さん
「好奇心とご縁。この二つだと思います。
私は家が決まったのは ”たまたま” のご縁なのですが、”たまたま” って結果的に必然なんですよね。
プラス絶対に好奇心!! 好奇心は移住に限らず全ての原動力だと思います。
まずは来てみてください、そこからです。」

インターアクト部の部活動風景
取材場所を決める時に、「私の行きつけの店『しんちゃん』でどうですか? ブリカマがおすすめなんです。」と
提案して頂いたときに、これはいつもとは違う取材になる!!と "ドキドキワクワク " しました。
自分の好奇心には従うけど、違和感があれば時間をかけて分析し、納得して進むと話していた福島さん。
自分に忠実な生き方に "ドキドキワクワク プラスアルファ " な原動力を頂いた取材でした。
日常にある宝ものに気付かず、素通りしているのかもしれないと思うと、
これから見える景色も変わってきそうです。
special thanks ♡ くいもん屋しんちゃん