谷口 美知瑠(たにぐち みちる) さん
- 北方地区
- 神奈川→東京→串間

串間の文化を愛し、古民家に暮らす
串間に来たなら必ず目にする
移住や観光ガイドのパンフレット。
このパンフレットの多くを手がけているのが
主婦でデザイナーの美知瑠さん。
いつかはと夢見ていた古民家に暮らし、
子育てしながら、郷土史研究を趣味とする、
忙しくも充実した串間ライフとは?
都心から地方に行く
流れがあってもいい
美知瑠さんは生まれも育ちも神奈川県で、長く住んでいたのは横浜市の鶴見区という町。
都心部への通勤アクセスがいいことから、周囲に高層マンションが「まるでタケノコのように!」次々とできていく様子を見ながら育ちました。
「友人の親や祖父母が地方出身の人も多く、地方から都心部へ人が流れていることは、子どもの頃からずっと意識の中にありました。田舎から都心部へ来る人が大勢いるなら、逆に都心部から田舎へ行く人がいてもいいのではと、感覚的に考えていたと思います」
絵を描くこととものづくりが好きで、美術史から工芸まで幅広く学べることから、大学は美術学部に進みます。そこで、古民家と運命の出会いを果たします。
美知瑠さん
「大学のゼミの先生のアトリエが、埼玉県の秩父の山奥にあったんです。ぜんぜんきれいじゃない、昔のままのお化け屋敷みたいな古民家だったんですけど、そこで過ごしているうちに自然と調和するような日本家屋の良さに魅せられてしまって。いつか、こういう家で暮らそうという夢ができました」
-Iターンのきっかけ-
串間出身の達広さんと
出会ったこと
大学卒業時は就職氷河期でしたが、美術やデザイン、染色に関わる仕事をしたいとアルバイトをしながら就職活動をして、東京の小さなデザイン会社に就職。デザイナーとしての第一歩を踏み出します。その後、キャリアアップのために旅行専門の広告代理店に転職し、ここで後に結婚する串間市出身の
達広さん
と出会います。
美知瑠さん
「すごく忙しくて、帰るのも毎日終電のブラックな会社だったんですよ。夫は隣の席にいたんですが、ある日ふっとモニターを見たら、上の方に小さくトトロの動画が映っていて(笑)。私もジブリが大好きなので、意気投合しました」
達広さん
「ずっとデスクに座り続けていないといけないから、心の癒しのために映してたんです(笑)」
会社を出るといつも夜だったから2年くらい夕陽を見ない生活をしてたよね、でもみんな本や漫画が好きでいい人たちだったよねと、当時の思い出話で盛り上がるお二人からは、20代の働き盛りに情熱を持って仕事に打ち込み、同じ時間をともに歩んできた、戦友のような絆の深さが感じられます。
東京で3年間お付き合いした後、美知瑠さんが30歳の時に結婚、33歳で長女を出産し、その半年後に串間市に移住しました。
-移住までの道のり-
田舎での子育てと
古民家暮らしが夢
1歳年上の達広さんには、自分が35歳になったら串間に帰るという計画があったため、美知瑠さんも結婚前に何度か串間を訪れていました。
美知瑠さん
「地方移住については、夫と出会う前から考えてはいたんです。東京よりも、もっと自分に合う場所があるのではないかという思いがあったし、地方ごとに文化の特色があるのが魅力的で、青春18きっぷで全国を旅して回ったこともあります。実は宮崎にも縁があって、20代の頃から綾の染織工房を毎年、訪ねていました。
いつかは自然豊かなところで住みたい気持ちがあったので、串間もいいかなと移住に抵抗はありませんでした」
まずは、達広さんの実家に移住。そこから、美知瑠さんの夢だった古民家探しのはじまりです。
美知瑠さん
「不動産さんを訪ねたり、知人に聞いたりと、とにかく探しまくりました。そしてある日インターネットを眺めていて、たまたまみつけたのが今の家だったんです。これはよさそうと思って見に行ったら、あちこちだいぶ傷んでいて、中には大量のものが残っていましたが、立派な梁や柱があって心惹かれました。当時の私たちでも購入できるくらいの価格だったことも、決め手でした」
達広さんはじめ、達広さんの両親や友人たちの力も合わせて、家の中のものを片付け、ひとまず住めるようにと寝室やリビングなどの修繕をして、移住後10ヶ月でお引っ越し。以降、屋根やキッチンなど、少しずつ自分好みにリフォームしながら、古民家暮らしを楽しんでいます。

自分の子も友だちの子も
みんな一緒に協力して育てる
美知瑠さん
「串間の暮らしは、私には合っていると思います。自然が豊かだし、周囲の方は親切で子育ても本当にしやすい。近所の友だちファミリーとも距離が近くて、一緒に協力して子育てできるのがありがたいです。
友だちの子どもをごく自然に預かって、うちも預けて。東京にいる時は考えられませんでしたが、帰ってくると、友だちの子が当たり前のように家にいることも多いです。
近くに川や渓谷、海があって遊びに行けるし、庭で思い切り水遊びもできるし、キャンプもすぐに行けて、開放感があるのがいいです」
二人の娘さんが大きくなってからは、自宅の一室を仕事部屋にして、デザインとイラストの仕事も再開しました。
取材に行ったのはちょうど夏休みの時期、美知瑠さんがデスクに向かっていると、娘さんたちが隣で絵を描きはじめたり、猫と遊びはじめたりと、微笑ましいシーンが繰り広げられます。
「仕事がはかどらない…」と苦笑いしながらも、娘さんたちを気にかけながら作業を進める姿は、さすが働くお母さんです。

左上・左下:二人の娘さん。お絵描き上手はお母さん譲り!?
右:美知瑠さんが制作を手がけた串間のパンフレット
郷土史が大好き
串間弁辞典を作りたい
美知瑠さん
「古民家で暮らすこと、田舎で子育てをすることは、私の実現したいことだったから、それを、叶えられていることは幸せなことです。
今はどうしても、仕事や家事、子どもの学校の行事や部活の送り迎えなど、目の前のことでいっぱいいっぱいになってしまうけれど、地域の一員として根付き、この串間の文化を後世につなげていきたいという気持ちも強くあります」
串間史談会という、郷土史の研究会にも所属している美知瑠さん。最初に訪ねてきた時にはぜんぜん聞き取れなかったという、串間の言葉に興味を持って、収集と研究も続けています。
美知瑠さん
「串間弁って、古語辞典に載っているような古い言葉も多く残っていて、面白いんですよ。いつか串間弁の辞典も作りたいと、ずっと思っています。
日本の地方が、どこも同じような文化になってしまって、地域差がなくなってしまったら面白くないし、寂しいですよね。でも、文化は経済産業や医療福祉とは違って、必要性が低いから地域差がどんどんなくなっていってしまうんです。
デザインやイラストの仕事を通して、文化を守ることに貢献したいけれど、仕事でなくても、地域と少しずつ関わりながら、大切にしていきたい」
他にも、もう少し自分の時間ができたら…と、竹細工やカゴ作り、刺し子などの手芸を再開したいこと、串間の名所や名物などをわかりやすいイラストにして描きたいという夢を、熱く語ってくれました。
●串間のお気に入りスポット
旧吉松家住宅。洋風の応接室のデザインや、昔のゆらゆらガラスなど、古民家好きとしては外せないところです。中のお部屋はイベントでも利用できます。
●移住を考えている方に一言
移住先には、もともと住んでいる地元の方がいます。そこには積み重ねてきた歴史と文化があるので、それを尊重し「土地に入らせていただく」という気持ちを持つことが大切だと思っています。

気取らない人柄で、自分の好きなものを追求し、周囲を大切にしている美知瑠さん。
インタビュー中、旦那さんの達広さんは「串間の気取らないところが魅力。
そのままの自分でいられるところがいい」と言っていましたが、
それはそのまま、美知瑠さんの魅力でもあるなと感じました。
串間の文化を愛する嫁じょ、ぜひこれからもマニアックに、串間の魅力を発信してくださいね!
谷口達広さんと美知瑠さんが運営する
印刷デザイン&webサイト制作の事務所
ショネジョネ